日中戦争はドイツが仕組んだ

今、反中米国追従の藤井厳喜説、トランプ正義説の藤原直哉など色々である

共和党米とロシアと中国の横暴

しかし狡猾な欧州ロスチャイルド、ユダヤ系欧州人がいつも背後にいる

全てはZionistや王室、欧米人の世界支配、戦争が1番の復興経済である。

日本が中国、ロシアとどう向かい合うか

日本支配層はいつも棄民し、一般人を怒らせ扇動する。世界もそうであろう。

ユダヤ人のヒトラーがユダヤ人を殺す。アルゼンチンに逃亡し死んだことになる

ドイツ国の優秀さと反日すら、ユダヤに利用されたかもしれない一連の戦争

秀逸な要約を記載する。

🌟

カスタマーレビュー

  • 真実真理5つ星のうち5.0 英米の蒋介石支援は良く知られているが、ドイツも蒋介石を支援していたことが良く分かる。2014年8月3日に日本でレビュー済みAmazonで購入 本書は、1927年12月から支那事変勃発1 年後の1938年7 月5 日まで、ドイツは蒋介石に軍事及び経済顧問団を派遣し、軍事品を輸出し、軍隊整備、対日本戦に対して戦闘訓練を指導していた事実を明らかにしている。勿論、ソ連も、1922年から、中国共産党に軍事及び資金の支援を行い、国民党に指導者を送り込み、支那のソビエット化を指導し、戦争による疲弊後の共産革命を目的として、国民党と日本との戦いを仕組み挑発していた。

    ドイツ軍事顧問団は、1932年1 月の第一次上海事変において、国民党軍を軍事指導し、対日敵視政策、対日強攻策をとるように指導した。国民党軍の武器はドイツ製であった。1936年には、支那の全輸入額に占めるドイツからの輸入額は、16% に至り、日本とほぼ同額で、第一次世界大戦前の水準に復帰した。

    ドイツが支那に接近した理由は、次の通りである。1895年4 月17日、日本は日清戦争に勝利し日清講和条約の締結により、日本は遼東半島の権益を得た。しかし、その6 日後の4 月23日には、ドイツは、ロシアとフランスと共に遼東半島の権益を清国に返還することを迫り、英米の中立により日本は同意せざるを得なかった( 三国干渉) 。この三国干渉の代償が、ロシアが遼東半島を、ドイツが山東半島の権益を得ることであった。
    ドイツは支那における権益を獲得しており、支那への輸出を増大させていた。その後、1914年の第一次世界大戦に日本は連合国の一員としてドイツに参戦し、ヴェルサイユ条約によりドイツの植民地であった南洋群島を委任統治した。

    ロシアは、大戦中の1917年に革命が起こり、戦争から離脱し、終戦前の1918年3 月3 日に、ブレスト・リトフスク条約を締結し、ドイツと講和した。ドイツは、ヴェルサイユ条約により禁止されていた砲弾や化学兵器の製造と、ドイツ将校の飛行機や戦車の訓練とをソ連国内で行う見返りに、ソ連に対して工業技術を指導した。

    このような状況の中、ドイツは、自国の経済を発展させ、戦前の地位を回復させるために、支那に市場を求めて、支那への経済進出を図り、大戦によりドイツの権益を引き継いだ日本に敵対心を抱き、日本を排斥して支那の市場を獲得しようとした。勿論、蒋介石にとっても、ドイツの軍事及び経済支援は、利益が大きいが、ドイツと蒋介石の目論見が一致したということである。

    1937 年7 月7 日の支那軍の発砲による盧溝橋事件、7 月29日、支那兵が、日本人及び朝鮮人を、凄惨の極みというべき大虐殺、強姦した通州大虐殺、8 月13日支那軍により引き起こされた第二次上海事変、10月5 日の米国大統領ルーズベルトによる日本を病原菌と見て隔離すべきとする隔離演説、12月13日南京陥落と、支那事変は拡大して行く。特に、第二次上海事変では、日本軍は、ドイツ製武器とドイツ軍人の訓練指導を受けた支那軍により、日露戦争以来の多大な戦死者( 戦死者1 万強、戦傷者3 万強) を出している。南京事件での安全区を管理する安全委員会委員長ラーベは、シーメンス中国支社総責任者でナチス党員のドイツ人である。このような支那軍の戦闘の軍事指導、軍備支援、経済支援にドイツが加担していたのである。

    1936 年11月25日に日本とドイツは、ソ連コミンテルンによる世界共産主義革命に対抗するために、日独防共協定を締結し、1940年9 月27日に日独伊三国同盟を締結しているために、日本人はドイツを味方と見て、支那事変において、ドイツが支那軍への軍事支援と経済支援をしていたことを知らない。ドイツは、第一次大戦後(1919 年1 月18日) 、ソ連への接近、防共(1936 年11月25日) 、独ソ不可侵条約締結(1939 年8 月23日) 、ソ連への宣戦布告(1941 年6 月22日) と、親ソと反ソの間で大きく振れており、日本はドイツに大きく翻弄されていた感がある。

    最後に、本書は、次のように結んでいる。日本軍が多大な犠牲を出した大きな要因がドイツ軍事顧問団の働きだったことも、ほとんど知られていない。ゼークトも、ファルケンハウゼン( 両者とも軍事顧問団団長) も、なぜあれほど中国指導者層に反日を煽ったのか、いまだにもって明らかでない。ドイツ軍事顧問団と上海戦線を目の当たりにしていた宇都宮直賢大尉は、戦後、「中国におけるドイツと、ソ連の軍事工作振りから見たら、大東亜戦争に入る前の英・米の動きなどまだまだ紳士的だったといえる。」と述べている。日本はドイツに騙されていたと言いたかったのだろう。もしもあのとき、ドイツ軍事顧問団が中国にいなかったら、歴史はどう変わっていたであろう。支那事変は起きたのだろうか、と結んでいる。

    結局は、大東亜戦争に至る原因は、白人支配のアジア植民地を解放し独立させて新東亜秩序を構築するという日本の使命に対して、各国が各国の国益だけを目的にして行動し、支那に遅れて参入した米国が支那に権益を求めて、日本を締め上げて戦争に追い込んだというのが、大東亜戦争に至る正しい歴史認識であろう。

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