体育館で元気に運動する老人。それが、降圧薬や糖尿病の副作用の低血圧や低血糖、転んでしまう。大腿骨が折れ、手術だけして十分なリハビリは出来ない。一期に老衰が進み、寝たきりになり、老人病院や精神科認知症病棟に入る。暴れれば、体を縛る。何十人を数人でみる体制で、一人ひとりに充てる時間は少ない。家族が家でみれる人はお金持ちだけで、家族も仕方なく入院させる
食べて寝て老衰。胃ろうや点滴、いろんなバージョンで最後の時は進む。人生会議。自分の死に方を選ぶというが、食べれない人を餓死させる勇気はないだろう。点滴や中心静脈栄養
老衰は長く、診ていて全く楽しくない。よくなることがないからだ。マザーテレサの死を待つ人の家も殺伐としていた。
最後をみとる病院で勤務する人間も感情を失っていく。そこは姥捨て山より酷いかもしれない。誰も決めれない。だらだらと延命が続く。
たまに、ごはんを食べ、笑顔がみれる。ささやかな喜びがあるだけだ。自分のことができない老人がこれから山のように増える。西洋なら餓死、安楽死。
熱心なあまり、老老介護で殺人になることもある。自分の親の介護は難しい。老人病院は必要悪だ
かつての老人はぴんぴんころりが多かった。老人自体が少なかった。
誰もがこうなることを予測していたが、他人事だ。
老人だけではない。家族も必死に働きうつ病になる。国民総病み国家、
何も考えたくない。どうにでもなれ。それは自然な気持ち。そこに国家の誘導が入り、増税や大事な政策でもっと国民は苦しむ
晴れやかな朝、夕景、中立な自然、自分で人生を終える動物
人間社会だけは生老病死をうまくあやせない。
病院から死んだと連絡、葬式と思い出。その病院には、矛盾が渦巻いている
介護は嫌だ。それで受刑者の復職先にする案もあった。世界は戦争で人口減らし。日本はコロナワクチンで人口減らし。
丸裸の人生から新しい人間性を生む時期だ。元気な人が旅や観光、人生を謳歌している影で残酷な死が待っている
あふれる健康情報。老人中心の社会。それが終わるとき、日本は復活する
みたこともない光景。腐敗死体の孤独死、鳴りやまぬ救急車。ぼんやりといきた人でも日本は無視できない社会。いいことなんだろう。
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