世界を見れば、「市民」は塀の中にいる。王様がいて使者がいて、塀の外は獣世界
権利も安全もない。
日本はお城があって、奉行がいて、一応民は年貢とか条件付きで守られてきた
大東亜戦争後、アメリカの大草原的自由が導入されたけど、
彼らは銃で武装していた。プロテスタントで神との誓いで許された
また、自律した
僕らはテレビ、学校、田舎で平等っぽいことを教わった
それは、日本株式工業会社の社員の育成が目的
アメリカの稼ぐ駒であった
それなりにみんなを必要とするさみしんぼで決めて欲しい空気大好き病の僕らは
そこそこの生活。兎小屋、サラリーマン、学歴で平等だと思った
その間に、社会の仕組みを作る人、使う人、支配層はますます超えた
格差社会はずっとあるもの。
成りあがれるように思っても、矢沢永吉みたいに在日人脈があったり、サクセスストーリーはまやかしだった
格差で自分は何を知らないのかという生き方格差
情報格差、血縁地縁格差、などを知ろうともしなかった
TVのマーケティングは完璧だった
村上龍の13歳のハローワークや最近では越境3、0チャンネルの書籍のように、
世界を知り、自分がどう生きるか、切に問われるようになった
岡田斗司夫チャンネルも社会をむちゃくちゃ遠くから冷めた目で見ている
スマホの課金ゲームも外人が参加して、世界の格差、邪悪さを知る
知らないで、海を空を山を眺め、そも呼吸で気功のように瞑想のように生きる人もいる
だだ、そこまで宇宙衛星にスマホに発見されてしまった
電磁波が体に悪いとか、合わない椅子でこうやって書き物ばかりしてると首を痛めるとかは大切な情報だ
格差社会はなくならないということ
どこで満足するかということ
ただ、子供時代の満たされない心は埋まらない永久の溝を作る
その闇が何かを突き動かすように生み出す。でも満たされない
そして社会は変化する。主人公も変わる
格差社会は最後はみんな死ぬということで気にしなくていい
心が貧しくなるのは、虚無のせい
考え抜くと虚無しかない。小説家の自死のように、哲学者の発狂のように
だから
実現したい未来があるならそこに進みながら、淡々と日々を味わっていればいい
善悪も糾弾も他人も関係ないことになる
個人になれば格差は関係ない
内側の昨日の傷はゆっくり治すか、同じ傷を持つもの通しで癒すか
女性の流行病はこの限りではない
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