タイトル:あの冬、パンを盗んだ——ある医師の魂の回顧録
あれは寒い冬の夕暮れだった。子どもは純粋なんかじゃない。むしろ、残酷だ。僕もそうだった。あの頃の自分を思い出すたび、胸が苦しくなる。バレバレのシャツの下に、店から盗んだパンを隠していた。おじさんはそれを見ていたが、何も言わなかった。パンは少しずつ、半分、また半分と小さくして食べた。破片のようなパンを口に入れた時の味は、今も忘れられない。だから今も、パンが好きなんだ。
小学校三年生の頃、赤いビロードのソファと、黄色いオレンジジュースの記憶がある。酔った父に手を引かれ、低い目線でスナックに連れて行かれていた。愛された感覚があったのかは、今も分からない。けれど、父がどこかへ行ってしまい、どうやって連れ帰ったのかは覚えていない。
ある日、酔った父は車の下で眠っていた。運転手がやって来た。僕は声を出せなかった。父は車にひかれ、病院へ運ばれた。足に重傷を負い、その後祖母の家で療養していた。そして、僕と叔父がサファリパークへ出かけている最中に、父は亡くなった。肺塞栓。おそらく足の怪我の影響だった。あの頃、まともな医療なんてなかった。
葬式では一日だけ泣いた。父は慕われていた人で、参列者は多く、みんな泣いていた。冷凍倉庫で働いていたが、その職場では父の死後、「幽霊が出る」と噂されていた。ある叔母には、「あんたが殺した」とまで言われた。今もその言葉が、胸に刺さっている。
祖母との二人暮らし。姉や叔母は新聞配達をしたり、育児で忙しかった。生活は質素だった。五右衛門風呂、ぼっとんトイレ。ジャージは一着しかなく、毎日洗って、濡れたまま着て登校した。転校した先の田舎の小学校では、成績が良くなった。卓球部を作り、障害を抱える子や貧しい家庭の子と遊んだ。リーダーのようなこともしていた。
小学六年から高校三年まで、毎朝新聞配達をした。雷が鳴る日は、本当に怖かった。進学校に通い、偽造した定期でバスに乗った。無許可でバイク通学もした。なのに、生徒会副会長になった。朝礼で、毎週1,200人を笑わせていた。反抗期だった。彼女とバイクで転倒し、入院もした。
最も好きだった彼女は、成績トップの弓道部のお嬢さん。彼氏がいるのにデートに来てくれた。キスもセックスもできたはずなのに、田舎すぎて場所がなかった。そして何より、自分は「愛された」という実感が持てず、自由に振る舞えなかった。貧困と居場所のなさ。それが、自分を不器用にしていた。
記憶力には自信があった。国語も地理も満点。読書が好きだった。数学は苦手だった。ただ「金持ちになりたい」。それだけで医学部を目指した。でも、入ってみると、自分とは全く違う世界だった。バイトでディスコのボーイをして、毎日女性を連れ帰った。モテた。でも、虚しさしかなかった。
大学が放校になりかけた時、塾の帰りに、借金で買った車で人をはねた。「人生終わった」と思った。でも、その人に毎日好きなものを持って見舞いを続けた。最後には「もういいよ」と言ってくれた。裁判にもならなかった。「何か」に救われた気がした。
何度も別れたはずの彼女に、何度も堕胎させた。水子供養を自分でした。教育大の安藤さん、インテリアデザイナーの弘恵さん、そして、今でも思い出す「えり」。えりと過ごした4年間、毎晩一緒に眠った。浮気もしなかった。休学して、バイトとパチンコの日々。最も平和だった日々。
その間に、美穂との間に子どもができた。認知した。えりとは結婚できず、医者になった。奨学金返済のため就職したが、医療の現場には愛がなかった。美穂が子どもとともに転がり込んできた。小さな息子と喧嘩し、傘を喉に突きつけられた。「やれ」と言ったが、彼はやらなかった。
そして、8年間ずっと僕を見つめてきた女性と結婚した。政略結婚のようだったが、義父は金持ち。娘は浪人生で才能豊か。息子は成人し、結婚し、孫もできた。家庭はある。でも、心にはぽっかりと穴が空いている。
風俗、女性遊び。それが人生だった。金より、えりとの小さな生活が恋しい。母のような存在。あれが、自分にとっての「幸福」だった。医者になってからは、何倍も働いた。でも、成功とは言えない。正直すぎて、狡さが足りない。自閉症かもしれない。他人を利用できない。
これが、僕の人生。政治や社会について意見を言う背後には、こんな背景がある。今の若者はどうだろう。僕よりも貧しく、希望もなく、問題解決能力もない。老害と病死に覆われたこの国。日本人は、どうなるのか。
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