敵国国家認定と静かなマスコミ

『弥生の再来と眠れる巨人』

今の日本は、奇妙なほど静かだ。
湿気を含んだ空気のように、すべてが鈍く、熱を帯びる前に蒸発する。誰もが薄っぺらなSNSの情報を片手に、曖昧な危機感と共に生きている。電車は遅れず、店員は丁寧で、街は綺麗に掃除されている。それでも、どこかが壊れている。

かつて切腹し、特攻した民族が、今は何のために働いているのか。
国会には帰化人が並び、後ろには得体の知れない巨大な影がある。表面は民主主義で、裏は闇経済と国家犯罪が交差する。フェンタニル、臓器売買、地下の医療。そういった言葉が都市伝説ではなく、「現実」として人々の脳裏をかすめる。けれど、誰もそれについて深く問わない。

「そんなこと、言ってもどうにもならないだろ」と、目をそらす。

日本はラストリゾートになった。
移民によって破壊されたヨーロッパ、暴動と分断に沈むアメリカ、内部から腐敗する中国。そのなかで、日本はまだ「残っている」だけの場所だ。もはや先進国というよりも、宗教国家のように、過去の美徳と秩序の残骸だけが漂う。この国にやってくる中国人は、すでに国を捨てた漢族の資産家たちであり、カネと共に日本の土地と未来を静かに買い漁る。

不景気は続く。実質賃金は下がり、子どもは減り、老人だけが増える。
けれど、日経平均は上がる。株高が続く。企業は笑い、庶民は疲れ、何か大きなトリックが動いているのを、誰もが気づきながら、口に出さない。奴隷が、自分を奴隷と思わないうちは、支配者にとってこれほど都合のいい存在はいない。

だが、世界は気づいている。
日本文化の「恐ろしさ」に。

死すら厭わぬ忠誠心、空気を読む同調圧力、秩序に殉じる美学。
これらは自由主義にとって“狂気”であり、同時に最大の脅威だ。
外から見る者たちは、それを畏れ、研究し、監視している。

内側にいるぼんやりとした日本人は、それを知らない。
眠っている。だが、その眠りがいつまでも続くとは限らない。

歴史は繰り返す。
弥生時代は、縄文という無垢な自然共同体を終わらせた。
そしていま、新しい「弥生」が来る。

武器を持たない侵略者。信仰と規律を持った異国の新たな民。
そして、眠れる巨人としての日本人が、精神のどこかで目を覚まし始める。

真の危機は、混乱ではない。
「何も起こらないこと」が、最大の終末なのだ。

だからこそ問いたい。
あなたは、目を覚ますか? それとも、夢の中で国を売るのか?

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